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Monthly Column

ーその名を生きるー

『辰巳』 上映:6月28日(金)〜 7月11日(木)

2023年 日本 1時間48分 R15監督:小路紘史 出演:遠藤雄弥/森田想/後藤剛範/佐藤五郎/倉本朋幸/松本亮

大学時代、講義が終わり駐車場で友達と話していた時のこと。彼女が突然『この子なんて名前?』と言ってきた。え、どの子?と思ったら私の車のことだった。名前をつけると愛着が湧き、その存在の価値が変わるといわれ、その言葉に従ってみた。そうしてみると、それからはどこに行くにも一緒の相棒になり、時折話しかけるようにもなってしまった。名をつけることの威力を思い知った最初の経験とも言える。ものとしての役割と機能が、名前を持つか持たないかで大きく変わることを実感するとともに、もとい人に置き換えれば、誰が誰であるかという本質を名が請け負っていることに気づくことにもなった。

 

主人公の名のみをタイトルに冠する映画に出会うと、まだ会ったことのないその人物に気持ちが大きく引き寄せられていく。その人そのものを描くということの、得体の知れない強さを感じるのだ。

 

『ケンとカズ』で現代社会の歪みにはまりこんでしまった若者の刹那を鋭く描写した小路紘史監督の手法は、まさしくオンリーワンとしての彼ら2人がどう生きてどう存在するのかを社会構造の中で見せていくものだった。人を描くことの極意が荒削りながら見て取れた作風に身震いがしたものだ。そして小路監督が次の題材に選んだのもまた、映画の中で君臨するダークヒーロー(あえてそう呼びたい)・辰巳である。辰巳は何者なのか、を全編を通して見せ切っていくのである。どんな生き方をしようとも、映画の中に存在する登場人物たちは誰もが、自分が誰であるかに対する責任を負って生きているように映る。それは、荒くれ者であろうと、なんであろうと関係がない。俺は俺であり、俺と対峙するお前はお前である。それが正面切って相手を捉え、至近距離で罵り合い、肉弾戦で相手を仕留めようとする、彼らのある種真っ当な、自己と他者を認める行為に見える。登場人物たちが呼び合う名の響きがいつまでも耳に残るのは、きっとそう言うことなのだと思う。浮遊するように存在する自分の不確かさに不安を感じる人の多い現代において、この『辰巳』の世界観は重要だ。作品の詳細にはここでは触れずにおこう。それはみてお楽しみ。ただそれだけでいいはずだ。

 

緻密に積み上げられた画面構成、張り詰めた空気感とそれを纏う音、静かに物申し、時に激しく躍動する役者たちの肉体とその顔。どれも、どの瞬間も見逃せない、すこぶる面白い映画、とだけ、声を大にして言っておきたい。

(志尾睦子)

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