Monthly Column
ー寄り添うとき、寄り添われるときー
『水平線』 上映:4月26日(金)〜 5月2日(木)
2023年 日本 1時間59分 監督:小林且弥 出演:ピエール瀧/栗林藍希/足立智充/内田慈/押田岳/円井わん
ある海辺の町へ撮影の陣中見舞いに訪れた時のこと。数人で波打ち際を何の気なしに歩いていた時、ベテランスタッフの一人がその場にいた喫煙者の若手スタッフにタバコをくれないかと声をかけた。その人は数年来タバコをやめていたから、周囲はその言葉を茶化し、その人もまあまあと笑ってあしらいながらタバコを手に取った。一口だけ小さく吸い込むと、すぐに若者の手にそれを戻し、静かに海に向き直った。彼が若い頃に弟さんを海で亡くしたことを風の便りに知っていた私は、戯れ合うスタッフたちのすぐ横で、その静かな時間をそっと共有させてもらった。海の先、ぼんやり霞んでいる水平線をじっと見つめた、たった数秒間。何の言葉も交わさなかったが、その弔いはとても深い清らかな時間だった。同じ場、同じ時をともにしながらも人の心の中はそれぞれ独立して存在する。共有することもしないことも出来たのだ。二十数年前のあの経験は、私の中で何か確かなものとして残っている。本作に触れて、この時の感覚が蘇って来た。
舞台は福島県のとある港町。震災で妻を失った井口は、個人で散骨業を請け負いながら娘と二人で暮らしている。散骨業とは、火葬した遺骨を埋葬するのではなく、さらに粉砕し海洋に撒くものだ。撒くといっても、水溶性の紙に包みそれごと海へと流す。その背景は様々だが、一つには経済的な理由もあり、井口は生活困窮者や高齢者の依頼を格安で請け負っている。一人娘の奈生は、そんな父に対して複雑な心情を抱え、素直に向き合うことができない。井口がなぜこの散骨業を営んでいるのか、その辿って来た道はわからないが、井口と奈生はそれぞれに、突然いなくなってしまった妻・そして母の面影を胸に抱いている。その不在は、彼らの生きる時間に対しての死と同義語であっても、生命の終わりを確かに感じる遺骨を手にできていない彼らには、消化できないものとして重く沈んだままだ。「寄り添い散骨 ウィズ・ユー」という社名に井口の慎ましい想いが滲む。
そこにある日、兄の散骨を依頼しに若い男がやってくる。複雑な事情を察する井口の前に、その遺骨が通り魔殺人事件の犯人であると告げるジャーナリストが立ち塞がる。正しさとは何か、弔うとは何か、罪や罰、そして生と死、あらゆることが大きな波となって人々の思いをかき乱していく。
当事者と周辺。主観と客観。その違いと、それでも交わる共有感をこの物語は静かに紡いでくれた。
(志尾睦子)