Monthly Column
ー個々の尊重の先に共鳴が生まれるー
『彼方のうた』 上映:3月1日(金)〜 3月14日(木)
2023年 日本 1時間24分 監督:杉田協士 出演:小川あん/中村優子/眞島秀和
美しい映画だ。と言葉に出す時の感覚を思い出してみる。あくまでも個人的な感覚と表現でしかないのだが、映し出された風景が鮮やかであるとか、画面の色合いが整っているとかを捉えて浮かぶ言葉ではない気がする。人を介して浮かび上がるその空間や人の営みから、織り目正しさや麗しさを感じとっている時に、思わずこぼれる感想というのが近い。美しい映画を観ると、心が温まる。それは無機質ではない、その美しさに体温が宿っているからなのだと思う。そして同時に、自分の小さな傷が癒やされていく感覚にも陥る。それは翻ると、ああ、傷ついていたことがあったなと気がつく瞬間でもある。
杉田協士監督が作り出す映画は、心の機微を繊細に捉える。人の動作や所作を写し出すことで浮かび上がる人の感情を、大切に繋いでいくように見える。登場人物たちの誰の中にも生きてきた軌跡があり、物語があるのだけれど、それをドラマチックに伝えていく手法はとらない。ただ、“いま”や“その時”をその人のものとして映し取っていく。誰かのために誰かの感情を見せようとしない。ただ静かにその人の今の大事な感情が浮かび上がってくるのを待っている。そのためには何にカメラを向けることが映画になるのかを、杉田監督は知っているのだろう。それはある意味、カメラにとって、人にとって誠実な創作行為なのではないかと思う。 杉田作品の熱烈なファンであることを公言しつつ、『彼方のうた』を語るとすれば、“とても美しい”映画だった。
本屋さんで働く春は、ある日通り道のベンチに腰掛けていた雪子に声をかける。他方で春は、ある男の後をつけて様子を伺ってみたりしている。彼女が何を目的になぜそうした行動をしているのか、雪子やその男・剛が何者であるのかは、容易にはわからない。大概の物語はそれが、後になって詳らかになるわけだが、『彼方のうた』はそうならない。でも。不思議と私たちは、彼らそのものを感じ取ることが出来る。私たちの中に眠る、傷ついてしまった心や、澱のように沈んだままの哀しみが共鳴するからだ。それは自分自身の確かさを確認する作業でもある。
作中、雪子にオムレツの作り方を教わる春が、出来上がったものを一緒に食べるシーンがある。雪子さんが作るオムレツと何かが違うという春に雪子は優しい笑顔でこう答える。「これは、ハルさんのオムレツ」なのだと。その言葉の深みと温かさに、この物語の真髄が見えた気がした。
(志尾睦子)