Monthly Column
ー選択は愛しい時間の始まりー
『小説家の映画』 上映:8月4日(金)〜 8月17日(木)
2022年 韓国 1時間32分 監督:ホン・サンス出演:イ・ヘヨン/キム・ミニ/ソ・ヨンファ/パク・ミソ/クォン・ヘヒョ
ホン・サンス映画は、なぜこんなに面白いのだろうか。 なぜ、という疑問形をあえてつけながら、それが絶対的な力強さを持っていることも知っている。作を重ねるごとに、物語の軸足はシンプルになり、記号化の積み重ねは増していく。わかりやすい情報は少ないから、会話の端々でそれを読み解こうと注意深く世界の中に足を踏み入れていくけれど、気を許した瞬間に、これまで嵌め込んだパズルのピースがまた崩れていってしまう。あれ、ここだと思っていたのに、違ったのか、を繰り返していきながら、整然とストーリーを構築することは無意味かもしれないとわかってくる。目の前にいる映画の中の人たちに目を凝らし、耳を傾け、心を寄せていくと、不思議と散りばめられた映画的記号に慣れてきて、気持ちが反応してくる。少なくとも私にとって、ホン・サンス映画はそんな印象だ。何を観てもいつ観ても、同じようでいて違っていて、とても面白い。『小説家の映画』を見終えた私は、暗転した画面をを見つめながらしばらく席を立ち上がれず、ふうっと長い息を吐いた。
ホン・サンスが描き出す人々の物語はいつもシンプルだ。極端なことを言ってしまえば、そこに人がいると成立する。無論それは、ホン・サンスにしかできない離れ技でもある。「何も起こらない」映画と形容されることが多いが、私たち誰もが生きている日常を、映画の中に断片的に再構築するからそう見えるのかもしれないと思う。人が生きている、そのこと自体に、人生のおかしみや悲しみやまどいや憂い、そして喜びや輝きがある。それが描かれる。 今回の軸となる物語は、「久しく執筆から離れている小説家のジュニが、長らく映画に出演していない女優のギルスと旅先で偶然出会い、二人で短編映画を撮ると決めた。」というものだ。果たしてそれは何を描く動力になるのだろうか。
意志をもって始まるジュニの旅は、偶然の再会や新しい出会いを重ねて進んでいく。そこにギルスも登場し、二人の人生が交わり、それぞれの人生もまた続いていく。
人生は選択の繰り返しで、点が線になっていくのが物語なのだろうが、ホン・サンスはあえて、点を積み重ねて見せていく。それが愛しい時間なのだと言わんばかりに。 「小説」と「映画」そのモチーフをこれほど優雅に端的に使いこなす人を知らない。計算され尽くした画面構成、類稀なるセンスで紡ぎあげられる間に、今回も脱帽だった。
(志尾睦子)