Monthly Column
ーいちばん近くて見えないものー
『徒花-ADABANA-』 上映:10月18日(金)〜 終了未定
2024年 日本 1時間34分 監督:甲斐さやか 出演:井浦新/水原希子/三浦透子/甲田益也子/板谷由夏/原日出子/斉藤由貴/永瀬正敏
近いからこそ意識しないと見られないもの。それは自分だ。こと私に限ってそれは顕著で、身だしなみを整える、時には最低限のマナーとして鏡は使うけれど、それ以外で自分を見ることはほとんどない。それはこのどうしようもない自分を見たくないから、なんだと、思う。自分には見えていない白髪の多さや、カサカサの肌は、人にはしっかり見えていて、そこを指摘されると、そんなにひどいのかと驚いて、今度はひどく落ち込んだりする。人にどう見られてもいいと思っているわけでもないらしいが、私は自分に向き合いたくない、から自分を見ない。鏡の前にいる自分は自分だけれど、見る、という行為をする時点で、もう一人の自分がもう一方の自分を見ることになる。それは自己対峙だ。だから向き合うのは、やっぱりちょっと避けておきたい。
そんな哲学的思考をめぐらせながら自分という存在をいま一度振り返りたくなったのは無論、『徒花-ADABANA-』のせいである。本作を手掛ける甲斐さやか監督は、劇場長編デビュー作の『赤い雪 Red Snow』で、人間の強欲や見たくないものに目を背けていくずるさを逃さなかった。見逃してしまうというより、見ないようにしてしまう人間の性質を、それこそ見過ごさない。そこをダイナミックに人間ドラマとして構築した極上のサスペンスに私はものすごいエネルギーで引っ張られた。心待ちにした2作目は、あの映画体験を三段階、いや五段階飛び越え、その世界観の深度は更に増していた。
舞台は延命措置のために人間のクローンを利用する社会構造が出来上がった近未来。この技術革新の背景には、ウィルスが蔓延して人口が激減してきたという流れがある。だからと言ってそれは、誰にでも与えられる権利とは違い、一部の富裕層のみが特権として得られるものだった。
病に侵され療養中の新次は、自分と全く同じ姿をした「それ」を持つ、選ばれし人だ。手術を前に、自分の命の限りについて不安を隠せない彼は、メンタルケアを担当する臨床心理士のまほろに、「それ」に会わせてほしいと懇願する。自分であって、自分ではない「それ」。
徒花が提示するのは、圧倒的な世界の静けさだ。それが何を指すのかは、この映画の中に浸れば見えてくる。さまざまなものを手に入れてきた私たちの鏡合わせの向こう側を、そっと、ではなくどうぞと正面から見せられる、そんな感覚だった。緻密に構築された脚本と、美しく儚く低温な世界観に私はまた強烈に魅せられた。
(志尾睦子)