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Monthly Column

ー麗しき日々の記憶ー

『アランフエスの麗しき日々』 上映:4月21日(土)〜 4月27日(金)

2016年 フランス他 1時間37分監督:ヴィム・ヴェンダース出演:レダ・カテブ/ソフィー・セミン/イェンス・ハルツ

「物語」は日常の中でいつの間にか始まっているものだ。それぞれの物語がどう始まるかは、誰にも予測できない。だからこそ物語の始まりをつかまえた時のワクワクさは計り知れない。
何が言いたいかといえば、敬愛なるヴィム・ヴェンダース監督の最新作を大いなる感激で伝えたいのである。
「100%思いのままに撮った生涯で初めての映画だ」とヴェンダース監督は語っている。「思いのままに」自由に、伸び伸びとその表現に挑むとはなんと素晴らしきことだろうか。
さて。そんな前振りを聞かされては、期待を込めて観ないわけにはいかない。そして私は冒頭のシーンで至福の映画体験がまた開始されたことに歓びを禁じ得なかったのである。ここでは素直に個人的感想を込めるが、それは見事に完璧なはじまりだったのである。冒頭、絵が出る前の黒バックにカチャカチャとした音が入る。ドアを開けているのかと思ったが違った。それが何かは見ていただきたいが、そしてルー・リードの「パーフェクト・デイ」が流れてくる。その音楽のリズムに合うようにカメラはパリの街を歩き始める。明らかに何処かへ向かっていくのだ。小鳥がさえずり、川のせせらぎが聞こえ、風が凪ぐ。ルー・リードの伸びやかな声の向こうにそれらの音が聞こえている。木立を抜け、そしてカメラは一軒の邸宅に入ってゆく。ああ!美しく情緒深い「誰か」のモノローグなのだとハッとする。そこに現れる男は、おもむろにタイプライターを打ち始める。今思いついた物語を書き留めるために。いや、彼の中で、登場人物が動き出したのだろう。彼の声が物語を紡ぎ始めると、私たちの面前にも、「彼ら」が見え始める。
「ある作家の物語のはじまり」が見事に描きこまれた冒頭シーンには、おそらく天使もいたはずだ。解釈を肥大にして私はすっぽりと映画の中に身を投じていく。本作はヴェンダース監督とは盟友のペーター・ハントケの戯曲を映画化しており、ハントケはあの『ベルリン・天使の詩』の脚本家である。
テーブルを囲んで座る「彼ら」は、ある決め事に則って話し始める。それだけであるが、映画の魔法によってそれ以上が彼らのダイアローグには詰め込まれる。
男と女が紡ぎ出すそれぞれの人生が交錯したその時、そこにはピアノを弾き語るニック・ゲイヴがいたりする!『ベルリン・天使の詩』で天使ダニエルが恋い焦がれたマリオンに再会するライブハウスで歌っていたあのニック・ケイヴだ。もう、自由すぎる。観念も時空も、いつの間にか私は飛び越えていた。
ああそうか。これは人の物語であってそうでないのかもしれない。言葉と音楽と風景と、そして時間が織りなす物語に、そっと人が媒介として存在しているだけなのかもしれない。
いずれにしても。なんとも不思議で優雅で美しい映画であることに間違いはなかろう。

(志尾睦子)