Monthly Column
ーめくるめく愛と憎しみの賛歌ー
『アネット』 上映:4月15日(金)〜 5月5日(木)
2021年 フランス他 2時間20分 監督:レオス・カラックス 出演:アダム・ドライバー/マリオン・コティヤール/サイモン・ヘルバーグ
気づくと歌を口ずさんでいることがある。子どもの頃を思い返してみると、父も母もそんな人だった。ふと気づくと歌っている。大きな声ではなく、呟くように。自分の空気感に「乗っている」そんな感じだった。誰かに聴かせようとか、上手く歌いたいとか、そういった類ではなく、ごく自然に溢れる言葉たちがリズムや旋律に乗る「瞬間がある」そんな風だったと思う。大人になるにつれて私のそんな「瞬間」はひと目を気にするようになるのだが、それでも歌が口元まで溢れてくることはよくある。内側から湧き上がってくる感情が、湧水のように押し出されて音になり旋律になって歌になるのかもしれない。『アネット』の映画体験は私にそんなことを哲学的に考えさせた。
スパークスのレコーディングシーンから始まるこの映画は、音楽が紡いでいく物語へと観客を誘い出していく。わからないままに乗ったその乗り物は、実はジェットコースターだった。そんな感覚だ。あれよあれよと、登場人物が乗り込み、乗車時間も長くなっていく。最初に乗り込んでくる同乗者は、高名なソプラノ歌手・アンと、挑発的な芸風で人気を博すスタンダップコメディアン・ヘンリーだ。彼らは出会い、恋に落ち、家族になるのだが、その経過する年月の凄まじさを私たちは共に体感していく。勢いを増して上昇したかと思うと失速し、周囲をゆっくりと見渡す時間もある。でもそれはやはり束の間で、助走を始めたかと思うと、心構えをする手前でまた一気に下降する。その繰り返しだ。愛と名声と妬みと失意と、あらゆる感情が、鬼才の手によって美しく、時に醜く、どちらにせよそれらは驚くほどに鮮やかに映し出されていく。その表出において重要なファクターとなるのが歌だ。ミュージカル映画だ、という触れ込みがなければ、特にそこを意識しなかったかもしれない。
あまりにもそれは彼らの営みとしてごく自然だったからだ。言葉を音に乗せて紡ぎあげていくその世界に、私たちが違和感を感じることもない。その説得力は何故だろうと思ってしまうが、それこそが、稀代と言われる映画監督のなし得る非凡さなのかもしれない。 アンとヘンリーの物語は、やがて彼らの愛の結晶であるアネットにその舵を取らせていく。勢いで過ごしてきた時間を娘は立ち止まらせるかのように現れ、そして歌う。アネットが口を噤む時、私たちは「何か重要な事に」気付かされる。 平凡な言葉しか出てこないが、紛れもない傑作、としか言いようがない。
(志尾睦子)