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Monthly Column

ー諸行無常の響きありー

『ある船頭の話』 上映:11月30日(土)〜 12月13日(金)

2019年 日本 2時間17分監督:オダギリ ジョー出演:柄本明/川島鈴遥/村上虹郎/蒼井優

川面を見やる年老いた男は、そしておもむろに1日を始める。岸にある年季の入った小舟を川の水で洗い、客を乗せる準備をする。彼は、船頭だ。山間に流れる川で村と町の往来を助ける渡し舟を生業にしてきた。川辺の質素な小屋に独り住むその男・トイチは、自身も訳あってこの地に流れ着き船頭として生きることになったようだ。村から町へ、町から村へ、トイチは人々を舟で運ぶ。川幅はほんの数百メートルだろうが、この舟がなければ人々は容易にこちらからあちらへ行けないのだ。かつてはこうした渡し舟がトイチの他にもあったようだが、今は彼だけになった。時代は明治後期。文明開化の音が、川上にできる大きな橋の建設音に重なっていく。静かで慎ましい船頭の日々を、脅かす音でもある。

小さな舟は数多の人生を乗せ、時代の流れを見つめていく。風が吹けば舟が流されるように、町も村も、そして人も、たなびく旗に導かれるように動く。橋の完成という時代の風はトイチの周辺を大きく変えていく。夏の日にトイチの元へ流れ着いてきた少女は、季節が巡る中、変革に飲み込まれた人々を静かに見つめ続ける。 諸行無常だ。これは尊くもあり時に愚かな過ちを連れても来るのだ。人はそうして歴史を繰り返してきたのだろう。便利なものを手に入れる代わりに失ったものは何か。変わっていくことで生み出されたことは何か。そして、強固に守り抜けるものは何なのか。それを映画は鮮烈に劇的に観客に投げかけてくる。川のこちら側とあちら側は、時にこの世とあの世となり、現世と未来になる。舵一つで運命を分かつ人生の危うさが、船頭の目を通すことで、生々しくむき出しになって伝ってくる。

定点観測のように映し出される川岸。淡々と日常が繰り返され、目に飛び込む景色も変わらないかのようなのに、常に驚くほどの情報量が詰まっている。人々の姿に、身の上話に、ちょっとしたしぐさに、大自然の雄大さに、そして闇を飛ぶ蛍の光に。美しく生命力を放つ映像美が、それらを一層雄弁にする。クリストファー・ドイルのカメラだからと平坦な言葉で片付けられない以上の力が備わっていることは疑いようがない。片時も映画の世界から離れることが出来ないでいた。少しでも目をそらした瞬間に、何か大事なことを見落としてしまう感覚。映画の虚構と現実世界との間に身を置き、じっと映画と対峙している自分がそこにはいた。 質素で贅沢で大胆な映画ができたものだ。実に喜ばしい限りである。

(志尾睦子)

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