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Monthly Column

ー謎の男の行く先はー

『海を駆ける』 上映:7月7日(土)〜 7月20日(金)

2018年 日本他 1時間47分監督:深田晃司出演:ディーン・フジオカ/太賀/阿部純子/鶴田真由

人はどこから来てどこへ行くのだろう。
敢えて言えば人間は、すべからく母という存在から生まれ、命が尽きると死に、それぞれの国の方法で弔われ、最後には骨が土に還るものだ。自然科学上は、そうやって説明される。具体として現れる肉体には形があるからそうやって説明できるが、では、魂の行き先はどうだろう。見えない故に明確な答えを出そうにも出せない。
しかしながら、様々な角度で物事の本質を見出していこうとするならば、明確でなくとも一つの解答は、どんなものにでも導くことはできる。人はどこから来てどこへ行くのか。自然科学的に、生物学的に、哲学的に、宗教的に、考え方も解釈も、何通りもできるのだ。
さて『海を駆ける』である。『歓待』(’10)、『ほとりの朔子』(’13)、『さようなら』(’15)、『淵に立つ』(’16)と、その都度作風を変えながら、人間存在の根源に迫り、一国に止まらない宗教観や死生観を作品に散りばめて来た深田晃司監督は、本作では舞台をインドネシアに置いてそれらのテーマを物語ろうとする。舞台となるインドネシアのバンダ・アチェは、スマトラ島北端に位置する都市。スマトラ島と聞くと、スマトラ島沖地震の記憶が蘇る。深田監督がこの地を撮影場所に選んだのも、(というよりも導かれたのだろうと推察するが)、同様の経験をした中で生きる人たちの異文化の現れが、1人の映画作家に大きな影響を与えたからであろうことは想像に難くない。
災害復興の仕事に携わる貴子は、ここに移住して長い。一人息子のタカシがいて、彼は19歳の時に自分で国籍を選んだインドネシア人だ。貴子の姪・サチコが日本からやって来た日、日本人らしき謎の男が浜辺に打ち上げられ、貴子の元に連絡が入る。記憶喪失らしい彼をしばらく預かることにした貴子は、その男を「ラウ」という呼び、彼の身元を探っていく。
「ラウは何者であるのか」という問いかけは人間存在の深淵に潜り込んでいく。この問いは同時に、「〇〇人であるとは何か」であったり、「親子とは何か」であったり、「人間とは何か」、であったりする。歴史も、環境も、言葉も、文化も、宗教も、それぞれの土地とそこで生きる人たちによって独自に積み上げられて来た産物だ。人はそれと呼応して生きている。その壮大なロマンが、この『海を駆ける』には描きこまれていてハッとする。
無数の思考と解釈と感覚が詰め込まれたこの映画には、心を捉える力があった。
ところで。映画作家・深田晃司はこれからどこへ行くのだろうか。実に興味深いというものだ。

(志尾睦子)